再校のゲラを見ていたら、目次にも見出しにも「手かがり」とありました。正しくは「手がかり」です。この誤字は初校では見落とされ、再校まで残っていました。理由ははっきりしています。すんなり読めてしまうからです。
ポイントを整理すると
- 手がかり → 手かがり。違うのは濁点の位置だけです。使っている字は「か・か・り」と濁点ひとつで、どちらも同じ。言葉の形がほとんど変わりません
- 文章を読むとき、目は一字ずつではなく言葉のかたまりで見ています。だから「こんちには」も「こんにちは」と読めてしまいます
- しかも今回は、目次と見出しの両方が同じ誤りでした。目次と見出しを照合しても、「一致」と判定されてしまいます
別の言葉にならない誤字は、目が止まらない
文字の入れ替わりの例としては、「もちろん」の二文字が入れ替わったものがよく挙げられます。あれが見つかりやすいのは、入れ替わった結果が別の言葉になってしまうからです。思わず目が止まります。
「手かがり」は、どの言葉にもなりません。そのうえ濁点が一文字ぶんずれただけなので、見た目もほとんど変わらない。目が止まる理由が、どこにもないんです。読めてしまう度合いでいえば、こちらのほうがずっと上だと感じました。
突き合わせをすり抜ける誤り
「あづま通り」の記事では、全体地図と拡大図を並べたことで、名前の食い違いが見つかりました。今回はその逆です。目次と見出しを並べても、両方が同じように間違っていれば「一致」してしまいます。
照合は、「揃っているか」を確かめる作業です。「正しいか」までは教えてくれません。揃って間違っているものは、照合をするりと通り抜けます。だから照合で一致したあとも、その言葉が正しいかどうかは、別に読んで確かめる必要がありました。
現場からひとこと
気づいたとき、ほっとするより先に、少し怖くなりました。初校を見ていたのが自分だったら、気づけていたかどうか分かりません。読めてしまう誤字は、誰の目でもすり抜けうるのだと思います。
見出しや目次は文字が大きく、何度も目に入ります。見慣れてしまうぶん、かえって読まずに「分かったつもり」で通り過ぎやすい場所です。だからこそ、見出しは一字ずつ区切って「見る」ようにしています。定規をあてて一行ずつ追う、声に出さずに一字ずつ拾う——読む速さを、わざと落とします。
誤字が読めてしまうのは、読む力があるからです。ふだんはありがたいその力が、校正のときだけは邪魔をする。校正のあいだだけは、その力をいったん脇に置いておく。今回の「手かがり」で、あらためてそう思いました。
読めてしまう誤字ほど、怖い。見出しこそ、一字ずつ「見る」✍️
※事例は実際の経験をもとに再構成した架空の例です。

