ゲラに「吉祥モチーフ」という言葉がありました。そこにベテラン校正者の方が、鉛筆でそっと「吉祥文様」と書き込んでいたんです。赤ではなく、鉛筆で。——その一本に、校正という仕事のすべてが入っていた気がしました。
ポイントを整理すると
- 吉祥は「めでたいきざし。よい前兆」(広辞苑・第七版)。「きっしょう」で引くと「きちじょう」へ導かれます。なお明鏡国語辞典(第二版)には見出しがありません
- 吉祥文様は、ブリタニカ国際大百科事典の「吉祥文」に「よいしるし、めでたいしるしの意味を表した文様」とあります。人物・動物・植物・器財・天象にまで及ぶ、大きな世界です
- モチーフにも「主要な題材」「模様の主題を構成する単位」といった説明があります(広辞苑・明鏡)。つまり「吉祥モチーフ」も誤りではありません。ただ、指しているものが少し違うのです
「モチーフ」と「文様」は、指すものが違う
調べてみて、いちばん腑に落ちたのがここでした。広辞苑と明鏡で「モチーフ」を引くと、「主要な題材」「模様の主題を構成する単位」といった説明が出てきます。つまりモチーフという言葉自体、ちゃんと模様の世界で使われる言葉なんですね。
でも、よく見ると指しているものの層が違います。
- モチーフ=題材、模様を構成する単位(鶴、亀、松……)
- 文様=その題材で作られた模様そのもの
「鶴」は吉祥文様のモチーフであり、「鶴をかたどった模様」が吉祥文様。ひとつ内側と、ひとつ外側。ベテランの鉛筆は、どの層の話をしているのかを整えていたのだと思います。
吉祥文様には、こんなものがあります
ブリタニカによれば、吉祥文様の題材はとても幅広いものです。人物なら七福神、動物ならつる、亀、鳳凰、麒麟、竜、植物ならぼたん、梅、松、竹、らん、菊。そのほか器財や天象にも及び、中国の吉祥文の影響がみられるとされています。
宗教に由来するもの、歴史的な伝来によるもの、そして発音や語意から縁起がよいとされた言葉や字——成り立ちもさまざま。単独で使われることもあれば、いくつか組み合わせて用いられることもあるそうです。
調べているうちに、とても分かりやすいページに出会いました。工芸品の専門店・日本工芸堂さんのサイトに、青海波、麻の葉、市松、立涌など16の文様が、それぞれの意味つきでまとめられています。ひとつひとつに願いが込められていることが分かって、眺めているだけで楽しくなります。
▶ 縁起のいい和柄一覧|文様の意味と種類でわかる日本の伝統模様16選(日本工芸堂)
現場からひとこと
今回いちばん心に残ったのは、言葉そのものよりも「鉛筆だった」ということでした。
校正では、筆記具を使い分けます。赤字は、明らかな誤りを直すとき。鉛筆は、「こちらでは?」と提案するとき。「吉祥モチーフ」は間違いではない。でも、この分野で定着しているのは「吉祥文様」。だから断定せず、鉛筆で置く。
つまり鉛筆を選んだこと自体が、「これは誤りではありません」というメッセージなんですね。書き手の言葉を尊重しながら、より良い選択肢をそっと差し出す。校正者は、筆記具で敬意を示している——そう気づいたとき、あの鉛筆の細い線が、ずいぶん豊かなものに見えました。
めでたいしるしを表した文様だから「吉祥文様」。断定ではなく提案だから、赤ではなく鉛筆で✍️
※事例は実際の経験をもとに再構成した架空の例です。

