ゲラに「幾重も積み重なった」という一文がありました。あれ、「幾重にも」じゃないかな——そう思って辞書を引いたら、見出しはたしかに「幾重にも」。でもこの日いちばんの収穫は、そこではありませんでした。
目次
ポイントを整理すると
- 広辞苑(第七版)・明鏡国語辞典(第二版)とも、見出しは「幾重にも」。「幾重も」は見出しになっていません(ただし「誤用」とも書かれていません)
- 「幾重にも」には二つの顔があります。ひとつは重なり——明鏡①「不定だが数多く重なっているさま」(雲が幾重にも重なっている)
- もうひとつは気持ち——明鏡②「何度も繰り返すさま」(幾重にもお詫び申します)。そして広辞苑は、ここに驚くべき一言を添えています
辞書が“気持ち”を書いている
広辞苑(第七版)の「幾重にも」は、こう説明されています。
(相手に対しひたすら願う気持を表す)くりかえし。ひたすら。「幾重にもお詫び申し上げます」
——「ひたすら願う気持を表す」。辞書は、ふつう意味を説明する本です。感情まで書き込むことは、そう多くありません。それなのに広辞苑は、この言葉にわざわざ一言を添えた。この言葉には温度がある、と認めているということですよね。
そう知ってから、「幾重にもお詫び申し上げます」という一文が、まったく違って見えるようになりました。ただ何度も謝っているのではない。言葉を重ねることでしか届けられない気持ちが、そこにある。定型句だと思っていたものが、急に人の声に聞こえてきます。
現場からひとこと
実務としての答えは、はっきりしています。辞書が見出しに立てているのは「幾重にも」。だから校正では「幾重にも、では?」と、根拠を添えて指摘します。「誤り」とは書かれていないので、断定はしません。
でも今日、私が持ち帰ったのは、そちらではありませんでした。辞書を引くのは、正しいかどうかを決めるためです。それなのに、ときどきこういう贈り物が挟まっている。意味を確かめに行っただけなのに、言葉の温度まで教えてもらってしまう。
だから辞書を引くのは、やめられないんだと思います。
辞書にあるのは「幾重にも」。重ねる言葉には、重ねるだけの理由がありました✍️
※事例は実際の経験をもとに再構成した架空の例です。

